ポリティカルコレクトネスは「疲れる」ものか?

 

子連れソーシャルワーク留学 in カナダ vol. 83 (上)ソーシャルワーク・タイムズ vol.146

· AOP

2016年11月、トランプ氏が大統領選を制し次期アメリカ大統領に就任することが決まりました。ここお隣のカナダでもその話題で持ちきりです。

トランプ氏が勝利した一因に「ポリコレ疲れ」があるのではないか、とも言われていますが、本当にそうでしょうか。

ポリコレ」とは、「ポリティカルコレクトネス」のこと。英語ではPCといったりします。意味は、大辞林によると「性・民族・宗教などによる差別や偏見、またそれに基づく社会制度・言語表現は、是正すべきとする考え方。政治的妥当性。 PC 。」

差別発言をしないなどは当然で、政治的、倫理的に正しい表現方法を使用する(正しくない語は使用しない)ということです。

 

「差別発言をしない」などは(アメリカでは)これまで公の場では常識であり、政治家にも必須と言えるものでした。しかし、今回このような状況に疲れた人たちが、自由で奔放な発言をするトランプ氏を支持したのではないか、ということが言われています。

私はこれが「ポリコレ疲れ」というよりも、人は公正・公平であるべきであり、差別のない人権が守られる社会作りに失敗した結果であると感じます。

例えばカナダではヘイトスピーチは禁止されていますし、人種や民族、ジェンダー、性的志向、宗教に基づく差別や差別発言は禁止されています。なぜ法的に禁止されているのかと考えると、これまでの歴史の中でひどい差別があった(現在でもある)からこそ法律で明確に禁止しましょう、という流れになったはずです。そして一応、人は公平・公正であると教育されているはずなのです。

今回の選挙では、アメリカがそのような社会作りに失敗したことが露見しました。「ポリコレ疲れ」という言葉をあえて使うならば、人々は口に出さないだけで、本心では人種や民族やジェンダー、様々な属性によって人を差別し、見下してきたことが表れたということになります。無理していなければ「疲れる」ことはありません。

他者を尊重し、育むということに失敗したのだとすると、私は要因のひとつは、新自由主義のもとでの経済至上主義であり、過度の競争社会であるのではないかと考えます。トランプ氏がそのような社会作りを牽引してきた存在(大富豪)であることは明確であり、それは彼と彼の側にいる世界の1%の人々にとって良い結果をもたらしているともいえます。そんなトランプ氏が「労働者階級の味方になる!」と豪語しているのは皮肉なことです。

今回、トランプ氏に投票した人は「男性」で「白人」が多かったと聞きます。アメリカ・カナダでよく使われる"White supremacy”(ホワイトスプレマシー)という考え方があります。「白人は他の人種よりも優れている」という考え方です。無自覚のままこの考えを持っている人も実は多いのです。

人種に限らず、男性・女性;異性愛者・性的少数者;健常者・障がい者;大人・若者・子ども;こういった関係性で権力を持ちやすい立場の人がいます。そしてそのような人の中にも、差別をしているという自覚がなく、「自分の方が優れている」と考える人がいます。

相模原事件の犯人のように極端でなかったとしても、沖縄の人に対して「土人が!」と発言した男性(覚えていますか)は、差別的な考えを持っていなかったのか。差別をしているという自覚がなく、差別的な意識を持っている方がよっぽど怖いのです。

ソーシャルワークや福祉の現場ではどうでしょうか?私自分はどうだろうか?と、福祉に携わるものとして、自分の権力性と加害者性に敏感でいたいと思います。

ちなみに日本では「ポリコレ疲れ」の前に、ポリティカルコレクトネスの考え方が全くないことの方が問題です。

政治家や公人といわれる人がこれだけ差別発言をしても問題にならない国は珍しいのでは???