認知症などを語る際に「問題行動」という言葉があります。今回はこの「問題」という言葉について考えてみたいと思います。
日本の介護の現場では、以前「問題行動」という言葉が使われていました(今も使われているところがあるかもしれませんが)。例えば認知症のために、徘徊があったり、介護への拒否があったり、暴力行為があったりする状態のことを言いました。この言葉は、今、だんだんと「認知症の周辺症状」などという言葉に置き換わっています。
この「問題」という言葉に久しぶりに出会いました。
私が現在、勤務するカナダの高齢者施設では、アセスメントやモニタリングに、既存のデーターベースシステムを使用しています。このシステムは民間の会社が開発したもので、13,000以上の高齢者ケア施設で使用されているそうです。このデータベースは省庁に認可されており、ここに記載した内容は省庁による監査の際などにも使用されます。
医師、ケアチーム(看護、介護)、リハビリ系の職員などすべての人がこのシステムを利用して入居者の方の情報を入力します。特に重要なのが3ヶ月に1回のモニタリングです。
私は今、レクリエーションの担当スタッフをしているのですが、モニタリングの際に、データベースの中でレクリエーション担当者が入力しなければならない項目があります。その一つに、レクリエーションやアクティビティ時の入居者の方の「問題(Problem)」がありますです…。
これを見た時に「問題(Problem)」って…。と少し固まってしまいました。
過去の記載内容をみると確かに「問題」が書いてあるのです…。○○ができない、レクに参加できない、徘徊がある、拒否がある、などなど…。
この項目は、いわゆる「医療モデル」の考え方が強いのではないからかと感じました。
これまで約1ヶ月カナダの介護現場に入り見てきましたが、介護が看護の下の立場に置かれていると感じます。介護士の上司は看護師です。介護士の所属する「ケア部」の部長も看護師です。介護士は、入居者の記録を見れないし、記録を書かない(書けない)という施設もあるようで、とにかく介護士は看護師に言われた通り行うべき、と考えられているところもあります。
(レクリエーションのスタッフは介護スタッフとは別です)
医療的にみればたしかに「問題」かもしれません。そのため、モニタリングの項目でも問題に焦点を当てた書き方になっているのではないかと思います。
しかし治癒を目的とする医療と異なり、老いは不可逆的なものです。認知症の周辺症状は、様々な工夫で改善することができます。認知症の周辺症状は「問題行動」ではありません。その行動を「問題」とするのは、本人ではなく家族や周囲の人、介護や看護に携わるスタッフなのです。
例えば徘徊。徘徊をしている人をみると、ある職員はこれを「問題」であると捉えます。座らせようとし、じっとしていてくれないから「問題である」と認識します。
しかし介護職員は「何か不安なのかな」「手持ちぶたさなのかな」「トイレかな」と思い、それを解決しようとします。
同時に「体力があるんだな」と思います(その方の強みですね)。そして一緒に歩きます。ふらふらと歩くことは「散歩」であるとも言えます。
みなさんも、散歩されますよね?ふらふらと散歩をすることは、楽しい趣味の一つであって、「問題」ではないはずです。
ただし、もしお一人で外に「散歩」に出て、道が分からなくなれば、それはその方にとって「困ったこと」です。でもそれは「問題」ではありません。高齢者を取り上げましたが「問題児」も同じことです。本人が困っていること、教師や親には「問題」かもしれませんが、実際には「問題」ではありません。
「問題」は周囲がラベリングするものだからです。問題を「治す/直す」ではなく、本人に付き合うことで改善していけることもあります。
介護とはその人に振り回されることだと三好春樹さんは述べています。
「問題」と書かれていて、その人の「問題」を羅列していくとだんだんと「ああ、もう、この方、大変だなあ。なんとか「治さないと」」と思えてくるから不思議です。
「問題」ではなくその方の「強み」に視点を移すことは、介護だけでなくソーシャルワーク・福祉に携わる人に必須の考え方だと思います。
モニタリングの項目も早く「問題」という書き方でなくなる日がきて欲しいと思います。
ちなみに普段の介護の中では「問題行動」の言い方は「responsive behaviours」などと置き換わってきています。そしてそれらの行動にはresponsive behaviourチームの専門介護スタッフが対応したりします。これについてはまたいつか…。