2017年は雨が多いトロントです。オンタリオ湖の水位が上がって浸水しているために、オンタリオ湖にある公園、トロントアイランドが閉鎖されています。
さてカナダでは2016年に尊厳死が合法化されました。カナダでは「Medical Assistance in Dying(MAID)」と呼ばれ「死に際しての医療・薬物による補助」と訳すことができます。2016年6月から2017年3月までに、カナダ国内で365人がこの方法で亡くなったそうです。
2016年の法律制定以前には、国外に出て尊厳死が合法な国や地域に行って尊厳死を選択する人もいたそうです。
尊厳死はいくつかの条件を満たした時のみ選択することができます。例えば、耐え難い苦痛があること、治癒する見込みがないこと、死が目前に迫っていること、本人が意思決定ができることなどです。
実際の過程では、複数の医師が患者の状態や意思を確認します。まず、その患者が尊厳死が可能な条件を満たしているかを判断し、さらに数週間の期間を置いて複数回クライアントの意思を確認します。また、尊厳死実施の直前にも本人の意思を確認します。そのため、書面で書かれた意思表示の文書などは使用することができません。
尊厳死は医師や看護師の立ち会いのもとで行われ、病院だけではなく、自宅や高齢者施設でも実施することができます。
先日、勤務している高齢者施設で尊厳死に関する研修がありました。実際にカナダ国内では高齢者施設での尊厳死というものも実施されているそうで、私が勤務している施設でも看護師や介護士など高齢者施設の職員は入居者の方の尊厳死に立ち会う可能性があるのです。私はレクリエーション担当のスタッフですが、入居者さんがレク担当のスタッフの立会いを望めば、可能性はなきにしもあらず…なのです。
入居者の方が希望しても、スタッフ本人が宗教上の理由や自分の信念から尊厳死に立ち会いたくないという場合も考えられます。その場合はその旨を施設側に申し出ておくことができます。
実際には、私が勤務している高齢者施設に入所されている方は、程度はさまざまですが、多くが認知症を抱えておられます。そのため本人の意思決定の可否の判断は、難しいところだと考えられます。
現在、当事者からは、末期でなくても耐え難い状態にある方は尊厳死を利用できるようにすることなど、尊厳死を選択できる人の条件を緩和することへの希望がでています。
どのような状態にあった時に「耐え難い」のかというのは人それぞれですが、家族や友人が尊厳死を選択したら、と考えると…。今まであまり考えたことがなかったので戸惑います。あらためて「人が生きる」とは何かということを考えさせられます。
ちなみに高齢者施設で時々「もう死にたい」「死なせて」などと口にする方もいるかもしれません。それをその言葉通り受け取るスタッフはいないのではないでしょうか。医療職や介護職は(身体的な苦痛がそれほど深刻でない場合)「死にたい」という言葉が出てしまうほど「寂しい」、「ストレスがある」、「不安」や「嫌な気持ち」などネガティブ感情が募っているんだなと考えます。
高齢者施設で働くものとして、そのようなネガティブ感情が出てきた時に、少しでも安心できたり「もう少し生きててもいいかな」と思えるように状況を変えていきたいと思います。同時に今勤務している高齢者施設で私ができる範囲は限界があり、正直本当に難しいとも感じています。
その難しさの中で試行錯誤を繰り返す、いわゆる利用者さんに「ふりまわされる」のも介護の仕事の一つであり、醍醐味だと思っています。
みなさんは尊厳死に対してどのようにお考えになりますか。
参考:Ministry of Health and Long-term Care --Medical Assistance in Dying