この度、現代書館の『季刊 福祉労働』に「インターセクショナルアプローチを用いて介護を考える」というタイトルで論考を執筆させていただきました。
今号の『季刊 福祉労働 172号』はインターセクショナリティ特集。今後、インターセクショナリティは日本でもますます必須の概念になっていくと思います。
現代書館の編集者、向山さんがTwitterで目次をアップしてくださいましたのでご紹介します。
【インターセクショナリティを使って何を考えるのか、どうやって目の前の人と向き合うのか、目的意識をきちんともって描けたかなーと思って、満足してます。
〈目次〉!すばらしい執筆者のみなさんに拍手と感謝です👏 】
私は、 介護労働(ペイド・アンペイド)の現場の構造的な差別や抑圧的な仕組みを書きました。カナダの介護労働の現場や移民として働く中で見えてきたことも書いています。
今回、原稿を書くにあたり「インターセクショナリティ」というからには、介護労働を多面的に触れなくてはと思いました。文字数制限があったので当初の原稿からかなり削って、必ず抑えておきたいということしか書けませんでした。
そのため事例の羅列のようになって結果的に他の方々の原稿と比べて、ドライな教科書的な内容になってしまった気がしますが、介護とインターセクショナリティを語る上で、これは必要なことだったと思ってます。
今後、インターセクショナリティの視点を用いて、日本やカナダで出会った多様な利用者さんの様子や、歩まれてきた歴史(日系人として迫害されてきたことや戦争体験、日本人やカナダ人としての意識と社会構造)、利用者さんと介護者との関係(カナダで生まれ育ってもやっぱり日系の施設がいいの?)、多様なバックグラウンドを持つ同僚(介護職には移民が多いのでお互い片言の英語で話している)ことなどなど、書きたいことがたくさんあります。
同時に私の中で「インターセクショナリティ」という言葉を「安易に使えない」という思いが強くあります。広く、そして深く考察しなければならない社会構造・歴史・背景があるからです。
なお、「インターセクショナリティ」はフェミニズム運動や研究(※)の中から生まれたものです。インターセクショナリティ研究者・実践者の中には、フェミニズム・ジェンダー研究や実践(※ここには当然セクシュアリティ・トランス・クイア含む)以外の場面で「インターセクショナリティ」という言葉や概念を使うことが適切なのか、という議論もあります。
「インターセクショナリティ」は今後、より一般的な言葉になり、多くの人がこの言葉を使うようになるでしょう。これに対して私は「インターセクショナリティ」を用いる上で、フェミニズム運動やジェンダー・セクシュアリティの視点(と分析、抑圧への抵抗)は中心的なものであり絶対に欠かせない、と付け加えておきたいです。
本書は書店の他、現代書館WEBショップ、Amazon 、hontoなどでもご購入いただけます。
(リンクがひらきますが、アフィリエイト等はしていませんのでご安心ください。)
ぜひ多くの方に今回の『季刊福祉労働」をお読みいただけると嬉しいです。皆様からのご感想をお待ちしています!