エビデンス・ベースド・プラクティス(2)EBPの留意点

ソーシャルワーク・タイムズ vol92 子連れソーシャルワーク留学 in カナダ vol.38

· 大学院,制度政策

前回、エビデンス・ベースド・プラクティス(EBP)とは何かについてお伝えしました。EBPとは「様々な方法で検証された科学的根拠に基づく実践」のことです。利点が多く、日本でも医療を始め様々な分野で導入されてきています。
ただ私は日本のソーシャルワークや福祉の現場で、EBPの概念を導入する際に、留意しなければならないことがあると考えています。
それらは大きく分けて以下の4つです。

1. 北米の理論をそのまま持ち込めるのか
2. エビデンス(科学的根拠)をどう捉えるか
3. その研究の信頼性について
4. ソーシャルワークの「成功」とは何か

【1. 北米の理論をそのまま持ち込めるのか?】

まずEBPを考える際に留意しなければならないのは、EBPの考え方が北米を発祥としている、ということです。以前からお伝えしている通り、カナダのソーシャルワーカーは、カウンセリング等の心理療法も行います。ですので、その分野においてソーシャルワークにおけるEBPの活用が比較的容易です。例えば「認知行動療法は鬱症状の緩和に有効である」という仮説を立てて、その調査論文を検索して、その結果にもとづいて提供することをソーシャルワーカーが行います。

しかし日本のソーシャルワークの場合はどうでしょうか。「◯◯の症状の緩和」という医療モデルに見られるような結果というよりも、クライアントさんの生活の過程に関わることも多いように思います。その場合にはどのような仮説をたてて、その仮説を検証するための調査をどのように行うのが妥当なのでしょうか。

【2. エビデンス(科学的根拠)をどう捉えるか】

2つ目は「エビデンス(科学的根拠)」をどう捉えるか?ということです。エビデンスとは調査研究によってその有効性が検証されている実践です。リサーチの結果、何件くらいの研究結果が「科学的根拠がある」と言っていれば、その実践が有効であると言えるのでしょうか。正反対の結果が出ている研究もある場合には、どうすれば良いのでしょうか。逆に何も見つからなかった場合は?

EBPの論文の多くは、計量分析(大規模調査)に偏っています。それは歴史的に量的調査の方が、少人数の人に注目して深く掘り下げる質的調査よりも科学的だと考えられているからです。しかし計量調査で見られるのは、追跡調査をしない限りは、人の一時の一点のみの側面です。

先週、EBPの「仮説」はなるべく具体的なものが良いと言いましたが、人間はそんなに単純ではありません。人間として全体を考えた時に立てられる仮説は無限大です。例えば「認知症の症状の緩和」というテーマの場合、その要因は、医療、薬、体調、生活環境、性格、生活史、家族関係、利用しているサービス、スタッフやワーカーの対応、季節、気温、周りの音…などなど、いくらでも考えられます。人間全体として考えた際には「◯◯だから△△」と簡単に言うことはできないのです(計量分析である程度他の影響をコントロールして分析することが出来ますが、それも限度があります)。
人間は切り刻むことができませんが、EBPの結果はその人の一面を見ているに過ぎないのです。

【3. その研究は信頼できるものか?】

3つ目は、その研究が本当に信頼できるか?という点です。私は疑り深いので(笑)調査研究が、どこの誰が、何の目的でやっているのかな?と常に考えてしまいます。またその資金はどこから出てきているのかというのも重要です。
現在、大学のような独立した組織であっても民間企業による寄付が欠かせません。医療の例では製薬会社などが資金拠出し、大学と共同研究を行う事例がたくさんあります。そういった場合に研究結果がどのようなものになりやすいかは予想ができるのではないでしょうか。実際に製薬会社に有利な結果が出るように不正が行われたことが明らかになり、発表した結果が取り消されたり、刑事告発された事例もあります。

さらに、明確な不正でなくても、やり方によっては量的調査でも、ある程度、研究者の望む結果が出せてしまうのです。一見関係があるように見えるが、まったく別の要因が影響している「みせかけの相関」にも注意が必要です。
『「社会調査」のウソ--リサーチ・リテラシーのすすめ』 (文春新書)の著者である谷岡一郎氏は9割の社会調査はゴミであると書いています(この本はお勧めです)。

このように、どのような調査結果であっても、常に批判的な目で見るべきであると考えています。(次回につづく。)

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