「わたし」が「かれ」でなかったのは「たまたま」じゃないのか(1)

ソーシャルワーク・タイムズ vol110 子連れソーシャルワーク留学 in カナダ vol.55

· 高齢者

介護職員が入所されていた方を落として死亡させた容疑で逮捕されたことに関して、いち介護福祉士として、介護の研究を細々と続けてきたひとりとして、色々と考えているのですが、なかなか上手く言葉にできません。

でも、上手くまとまらないなりに書いてみようと思います。(自分の過去のFacebookから一部編集して転載しています&カナダのことでなくて申し訳ありません。) 

報道で今回の事件を知り、まず思ったことは、「やっぱり」とか「また起きてしまった」ということでした。

「やっぱり・また」というのは、今回の入所者の方をベランダから落として死亡させるというショッキングな行為だけでなく、他の職員によるたくさんある(だろう)虐待行為等とつながっていると感じたからです。 

介護職員による虐待行為は近年多く報告・報道されるようになってきました。報告されているものだけで2014年度で300件あまり、前年度比35%増とのこと(厚生労働省)。 

今回の逮捕に関して、いろいろな報道があり、いろいろな意見があることと思います。 

「たまたま介護職員の中に殺人を犯した(という容疑をかけられている)人がいただけで、どの業界にもそういう人はいる」という意見。そして「そういう人をなるべく排除しましょう」という意見。 

一方「介護職員の待遇が悪い」こと、「離職率が高い」という報道(実態も)があります。逆に、飲食業などと比較すれば、決して離職率は高くはないというデータもあります。 

身体的疲労に加えて、少人数や場合によってはフロアに一人での夜勤は、瀕回のナースコールや排泄介助、認知症の方の対応があった場合には、精神的な負荷が高いという事実はあります。 

「働く側も、働く施設を選びましょう」という意見もあります。実際に『ここヤバいな…と思うところはある。正直、何かあってからでは責任が取れない、怖い。だから1日で辞めた』と教えてくれた人もいます。「たくさん施設を見てれば、何となく分かる」そうです。

同時に、介護職はすぐ辞めると批判もあります(が、そうでない人や職場もたくさんあります)。 

介護は感情労働で、ストレスが高くなるのでは…という意見もあります。(感情労働=相手にあわせるため、または何らかの目的のために、自分の感情をコントロールし、深層・表層演技をすること。) 

待遇の悪さや人手不足、ストレスの多さ、感情労働であるからと言って、犯罪を犯して良いわけがありません。犯罪は犯罪です。そして殺人など人間としてやってはいけないことだけでなく、介護職には職業倫理としてやってはいけないこともあります。そのような、やってはいけないことは、絶対に何があっても、やってはいけません。 

しかし同時に、そこで「かれ」だけのせいにしてはならないのではないか、とも思うのです。 

利用者の方に殺意を覚えたことなどはありませんが、それでも敢えて言いたいのです。 

「わたし」が「かれ」でなかったのは「たまたま」じゃないのか、と。 

私は無資格で介護の世界に入りました。働く中で、高齢者の(特に認知症を抱える)方の魅力と、介護の仕事自体に魅了され、働きながら通信課程で2年間勉強して介護福祉士を取りました。 

仕事はそれなりに大変でしたが、楽しいことも多く、できることなら続けたく、でも給料は安く、この内容と給料では見合わないと思ったことや、他の色々な考えや・理由もあり、5年ほど勤めて現場を離れました。 

私が現場で出会った多くの介護職員は真面目で、一生懸命で、ご利用者の方やご家族のためになりたいとその仕事をしています。

私を含め、ご利用者の方の夢を見る職員は沢山います。亡くなれば喪失感を抱え、職場を離れれば過去の同僚に「◯◯さんどうしてる?」とご利用者さんのことを聞いたりします。 

世間では、そういう「よい人」であって、お金以外のために働ける人が、介護職として求められているようにも感じます。 

でも本来、仕事を選ぶ理由は何でもよいはずです。

報酬でも、内容でも、やりがいでも、待遇でも。だって「仕事」なのですから。 

介護職員になるきっかけや志望動機が何であったとしても、その人が「よい介護職員になれない(または、なれる)」と誰がどうして言えるでしょうか。 

そもそも「よい介護職」とはどんな人でしょうか?

優しい人? 利用者や家族の立場に立って、親身になってくれる人? 介護技術の高い人? いつもニコニコ笑顔の人? 呼んだらいつでも嫌な顔をしないで来て、すばやく行動する人? 入浴や排泄のノルマをこなせる人? トイレや入浴の誘導がうまい人? 病気や認知症の知識がある人? 適切な言葉遣いができる人? 連絡帳や記録を書くのがうまい人? レクがうまい人? 他のスタッフの指導が上手な人? 

思いついたまま羅列しただけですが、対象が人でありながらノルマや時間的な制限がある介護では、これら全てが求められているのではないか、とも思います。 

しかし、同時に介護職は「向き不向きがある」という言葉で、個人的素質が重要であると考えられています。そして職務上、構造的に生じるストレスさえも個人の問題として捉えられているように思うのです。(次週に続く)